Ahoy! people No.5 靴郎堂本店

 「出会い」とは、奇跡のようなもの。偶然の産物かもしれません。
永年の友達も、恋人も、遡れば、出会いのきっかけは、ほんの些細な一瞬だったり。

 今回のゲスト、靴郎堂さんとの出会いも、偶然通りかかったワークショップで、なぜか惹かれるものがあって声をかけたところから始まりました。DSC_0155

 是非、靴郎堂さんの魅力をお楽しみ下さい。


-少年時代について-

Ahoy!  本日は、製作もお忙しい中、どうぞよろしくお願い致します。

靴郎堂 いえいえ大丈夫ですよ~、ほとんど寝てないんですけど~(笑)

Ahoy!  ええっ!

靴郎堂 今朝まで名古屋に行っていました。六甲向けの製作の打合せやらなんやらで。 どうしてもお願いしたいパートナーのミラクルクルファクトリー *¹さんが名古屋にいらっしゃって。
今回は、この方とやるって決めていたので。妥協したくなくて。
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Ahoy! ちょ、ちょっと待って下さい、順を追って行きましょう(笑)。
まずはお生まれからお願いします。浅草ですか。

靴郎堂  いえ、大分県の生まれです。37歳です。
18歳で上京し、専門学校(文化服装学 院)の工芸科シューズコース(現シューズデザイン科3年制)で靴を勉強しまし た。

Ahoy!  子供の頃は、どんなお子さんだったんですか。

靴郎堂  小学校の時にサッカーをやってました。当時は野球が全盛の頃だったんです。
実は本当に生まれたのは北九州なんです。
父が転勤族で、千葉から静岡へ移り住んで。それで、静岡の三島でサッカーに出会いました。
その後九州の大分に戻り野球部が占有するグランドの隙間を使ってサッカーをやってました。 中学生の時にはバスケ部とサッカーを掛け持ちしたりもしましたね。 田んぼで泥だらけになりながらサッカーしていました。

しばらくするとスパイクが欲しくなったんですが、普通の運動靴と違って、結構な値段がしたんですよねぇ・・・でも安い人工皮革は履き心地が悪かったので、本革製を親にねだって買っもらいました。
大事なスパイクだったので、もう一生懸命手入れをしました。そうすると愛着が湧いた。振り返ってみるとそれが靴に目覚めた最初だったと思います。
そして、サッカーの王様ペレの履いていたプーマの「キングペレ」に憧れたんで すが、当時2万円くらい。当然買えないので、夏休みの工作で自分で紙で作ってみたんです。
色を塗って、ニスも塗って。おぉ!我ながら格好良くできた!と。
履いたら次の瞬間、壊れた(笑)。
スパイクの鋲の部分がぺしゃん、って(笑)

Ahoy!  もともと器用だったんですか?好きな教科とかは何でしたか?

靴郎堂  図工と家庭科が好きでした。(笑)       
図工は得意でしたね。美術は得意ではなかったんですが、技術系が好きでした。 半田ごてとか。
当時UFOキャッチャーが流行ったんですが、家庭科が好きだったこともあって、 欲しいものが取れないときは、自分で作っちゃたりしてました。それも、好きな 女の子が欲しいって言っているものを作ったりとか。(笑)

Ahoy!  それを作って、プレゼントしたんですか?

靴郎堂  いえ、あげるところまではいきませんでした(笑)
当時大流行だったミニ四駆も走らせるよりは、作ることが楽しみでした。
もともと飽きっぽい自分なんですが、作ることだけは飽きませんでした。

中学時代は数学も好きでまあまあ成績も良かったです。
田舎に暮らしていたので、雑誌を通して東京に憧れを抱いていました。

 

-高校時代について-

靴郎堂  高校は・・・色恋だけでした(笑)。もてませんでしたけど。(笑)

Ahoy!  ファッションにも興味があったんですか?

靴郎堂  当時の人気ファッションブランド「 ジェネラルリサーチ」のデザイナー セッ ト(小林節正*² )が好きで、憧れました。
彼を通して、「靴デザイナー」とい う職業があるのを知りました。
また、彼はきちんとファッションを社会性に落とし込んでいて、その姿勢に特に 憧れてましたね。過激な部分も含めて。

ファッション雑誌全盛期に「シューフィル」(靴の専門誌 *³)を愛読していました。
あと、先輩が文化服装学院に行っていたのも影響があったと思います。

高校時代は、美大に行くことも考えましたが、絵を描くこと自体は好きではありませんでした。そもそもサッカー三昧だし。
ただ、先生から「デザイナーになるには、デッサンなどの基礎も大事」と教わり ました。
それから靴デザイナーのミハラヤスヒロ *⁴ が多摩美卒というのもあっ て、絵を上達させなきゃと思い、美術部に入りました。

Ahoy!  美術部でアーティストとしての萌芽が芽生えた訳ですね。

靴郎堂  そうですね、基礎をしっかり学ぶきっかけを作ってくれたのは確かですね。

あ、それから、校長先生だった祖父が、美術や博物館好きだったのも影響受けて いるかもしれません。いつもゲームソフト買って欲しさにあちこちついて行って ました(笑)

そのお陰で、棟方志功や山下清に大きく影響受けて、小学生の頃ちぎり絵、切り 貼り絵にはまり「きよし」とあだ名がついてしまうほどでした(笑)。

*¹ http://dai-nagoya.univnet.jp/teachers/detail/288
*² http://bit.ly/29slFfN
*³ http://www.shoephile.co.jp/index.html
*⁴ http://www.miharayasuhiro.jp/

 

-専門学校時代について-

Ahoy!  文化服装学院に入学してみてどうでしたか?

靴郎堂  大学に進学するものとばかり思っていた祖父からは、大反対されたんですが、行 ってみたら、ちょー面白過ぎた!

Ahoy!  東京が?

靴郎堂  勉強が(笑)。   
三年間全く休もうと思わなかったです。友達にも恵まれました。
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Ahoy!  すでにシューズ学科を選んでいたということで、もう進路が確定していたわけで すね。

靴郎堂  シューデザイナーになることは決めていました。

卒業制作は、見たこともないものを作りたいという謎のこだわりで、苦労しまし た。  

ところが、それがかなりインパクトがあって、同学校の洋服の学科の学生の目に とまり話題になったり、ショーに使われたりしました。そして教科書にも載りました。
その頃には、本人はもう飽きてましたが(笑) 
そんなことも背中を押してくれましたね。

 

-卒業後について-

靴郎堂  卒業後は、就職活動をして、企業を目指し靴メーカーに就職しました。コムデギャルソンなどの靴を主につくるメーカーでした。
そこで商品企画を勉強しました。ファッションデザイナーのコレクション の靴なども手がけていました。

実はその頃、ちょっと人生に迷った時に読んだのが岡本太郎の『今日の芸術 時代を 創造するものは誰か』や『自分の中に毒を持て あなたは”常識人間”を捨てられ るか』などです。

Ahoy!  あ、それ危険(笑)。

靴郎堂 学生時代は、開いた本を見ることが耐えられないくらい活字を読むのが苦手だっ たのに、とにかく読み漁って、マーカーで線引くくらい(笑)のめり込みました。

その会社には2年ほど勤めました。  
そして、その後紆余曲折を経て、ご縁があって母校の文化服装学院の助手を5年 間勤めました。
ここでも、色々勉強させてもらいました。
授業を手伝ったり、学生のサポートをしたりしながら、いろいろな文化を知る機 会にも恵まれました。

Ahoy!  これまでのお話をお聞きしていると、とても順調に見えます。ぶれていない感じ、 とでもいいましょうか。

靴郎堂  あぁ、高校時代勉強しなかったから、吸収力があったんですね、きっと(笑)。

自分の選んだ道には、責任を持ちたいというのもあるかもしれません。
そして気がつけば、自分の周りにいる人達もそういう人ばっかりになっています 尖っている人も多いですが(笑)。

Ahoy!  そうですよねぇ…..。

靴郎堂  田舎から出てきたからか、東京の人達って、みんな一番になるべく努力している 人達ばかりだろうと思っていました。
だから、「中途半端」に対する恐怖心みた いなものが有るのかもしれません。

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-アートについて-

Ahoy!   いまはアーティストであり、靴屋さんでもあるわけですね。
靴デザイナーからアートに展開していったきっかけは?

靴郎堂  専門学校時代、客員教授だった毛利臣男先生 *⁵の教えがそのひとつだったと言 えるかもしれません。

毛利先生は「今書いたものは次の瞬間死んでいく。だから書き留めるのでは無く、 発散させよ。発想したものはすぐ形にせよ」と厳しく言われました。発想を転換 する、とにかく手を動かす、ということを教わりましたね。

Ahoy!  岡本太郎にも通じるところがありますね。

靴郎堂  そうですね。
瞬間を形にしないと古くなるということです。

一時期、最新のアートというものはホワイトキューブで観るものだと思い込んで ギャラリー周りをしていた時期もありました。沢山観ましたよ、いろいろ。 
で、山口明さん *⁶本人にだめ出しのような事を言ってみたり(笑)

Ahoy!  それ、どうなんですか?(笑)

靴郎堂  知識がない分、怖いもの知らずでした。
人としてどうかより、作品として面白く 感じるかどうか。
ほんとうに面白い作品を作っている人の凄さは、高校の美術部 や、専門学校で自分が創作で苦労をした時期を経ているから、身にしみて分かり ました。

だから、作品作りを始めたとき、人の前に出すことの怖さは強烈でした。

Ahoy!  何となく想像できます。
作品作りを始めたきっかけは?

靴郎堂  作品作りの初めと言うか仕事としては、これもひょんな出会いからですが、東京都 現代美術館で一年間、学校訪問のワークショップをさせてもらえることになって。
ちょうどその当時「履けない靴」シリーズ *⁷を制作していて、みんなで「履けない靴を作ろう」という内容でした。初めてのワークショップは、惨憺たるもの でしたけど(笑)

でも、そこで、ずいぶん成長させてもらいました。
そういう意味では、現場の人たちに育ててもらっています。

Ahoy!  現場たたき上げですね(笑)

靴郎堂  東京都現代美術館の仕事の前2003年頃、靴メーカーを辞めて紆余曲折があった頃、北川貴好さん * ⁸ に誘われて、向島に住むことになりました。

その頃向島には、嘉藤笑子(RICE+ディレクター)さんというリノベーション カフェの先駆けの方を初めとして、アート周辺のコミュティが形成されていまし た。 こういった地盤があって、後に「墨東まち見せ」*⁹にもつながっていきます。

ちょうどその「RISE+」に出入りしていた時にKOSUGE1-16 *¹⁰の土谷さん 車田さん、水内君 *¹¹、住中さん *¹²、EAT&ART TARO君 *¹³、中村君(株式 会社中村仲製作所)、曽我さん(現代美術製作所)、そして、棟梁の北條さん(北 條工務店)、これが数十年経ってBAGHAUS *¹⁴ へとつながって行きました。

BUGHAUSは、2010年頃から動き出していたんですが、北條さんをリスペクト するために日本独自の工務店と言う形を踏襲して結成した集団です。 2011年にはAAFに出展しました。メンバー間の影響がとても強い集団です。

Ahoy!  そこで、本格的に作品作りを始めたんですね。

靴郎堂  はい! 最初のきっかけとなったのは、2003年に土谷さんと北川さんらが東武曳舟駅の 空き地(現、駐輪場)で「曳舟発信局」*¹⁵ という場を制作し、その場から周辺の面 白い場所を紹介するという事をやっていました。

その際に、土谷さん、北川さんから「自宅で個展してみたら。」の一言で個展を することに。ちょうど先程にも話した『履けない靴』シリーズを制作していた時です。10ノモノの図

それからその個展で巡業しました。
僕の田舎町の児童施設や横浜トリエンナーレ2005年関連の施設で北中ホワイト という施設があり、その中でギャラリーを開いていた「YOSHIDATE HOUSE」 *¹⁶(吉田友里さんと芦立さやかさん運営)と言う場所でもやりました。

また自宅の作業場を失った時にちょうどKOSUGE1-16の土谷さんのシェアアト リエに入ることとなりました。 その時土谷さんが抱えていた案件がDUOリーグ *¹⁷(豊島区、文京区、足立区 を中心としたユースサッカーリーグ)のチェアマン中塚義実さんより、持ち回り のトロフィーを制作して欲しいというものでした。

そのトロフィーを制作する事がきっかけで始まった、KOSUGE1-16とのコラボ レーションプロジェクトで、履き古されたサッカーシューズを集めて、サンダル や小物に作り替える「スキンプロジェクト」*¹⁸を通じて、そこから本格的にア ートの世界に入った感じですかね。

Ahoy!  ようやく来ました!(笑)

靴郎堂  お待たせしました!(笑)

*⁵  http://creation-club.jp/
*⁶  http://yamaguchiakira-anarchyinthedagashi.blog.jp/
*⁷ http://kutsurodo.exblog.jp/
*⁸ http://www.takayoshikitagawa.com/
*⁹ http://machimise.net/
*¹⁰ http://kosuge1-16.com/
*¹¹ http://www.takahidemizuuchi.com/
*¹² http://www.suminaka.net/
*¹³ http://eat-art.info/
*¹⁴ http://www.post-komuten.com/
*¹⁵ http://kosuge116.exblog.jp/28922
*¹⁶ http://white101.exblog.jp/2025931/
*¹⁷ http://www.duoleague.com/
*¹⁸ http://www.kosuge1-16.com/skinproject.html

 

-屋号について-

Ahoy!   そして一番気になる「靴郎堂本店」の所以は?

靴郎堂  初めての個展をする際、個展名が必要だったんですよ。
ですが、「展」の漢字だと人が来なそうだと思い、「店」を使えば人が来るので はと思い「靴郎堂本店」という個展名にしたんです。
案の定「ここに靴屋さんが出来たの?」といって入って来てくれる人もいました (笑)

また当時兼業だったものですから、本名のままで職場に知られるのもどうかとい うことで、屋号として「靴郎堂本店」を名乗りました。
それがそのまま、作家名 になっています。

Ahoy!  なるほど~、そういうことですか。靴郎堂本店、と言うアーティストだと思えば いいわけですね。

靴郎堂  自分がアーティストかと言われると、ちょっと微妙です。そんな高尚なものでも ないしなぁ、と。
なので、「クツ創家(くつづくりか)」と名乗っています。

一般的には靴クリエイターが一番近いかもしれません。
職人さんは同じものを繰 り返し作りますが、飽き性の僕には無理です。 作品を作る以上、僕ならでは、がなければだめだと思っています。

結局あんまり呼ばれ方にこだわりはないんですけどね。アーティストと呼ばれて 敷居を上げることは好きではなりません。

先日、村上隆さんの五百羅漢を見て戦慄を覚えました。あれがアートなら、自分 のやっていることはとてもアートではない、と。 藤浩さん曰く「アートと衝動は違う」。マーケットに合わせるのがアート。
でも楽しいのは、衝動のほうなんですよねぇ(笑)。

僕がこう考えるのは、日本独自のものかもしれないですね、演歌みたいに。

Ahoy!  それって、欧米の評価尺度とは違う、日本独自で発達した「アートプロジェクト 」と通じますね。

靴郎堂  まさにそうかも知れません。IMG_3843

 

-モチベーションについて-

Ahoy!   靴職人とアーティスト=クツ創家の2足のわらじ、ならぬ2足の靴なわけですね。 アーティストであり、靴職人であり、家庭人でもあるというマルチなところがす ごいと思います。
よっぽど靴がお好きなんですね。

そんな靴郎堂さんのモチベーションとは?

靴郎堂  田舎から出てきて一番になりたかった、そう決めていたからやるだけだった、と いうのはあります。性格的に「適当」は絶対いやだった。まあ「適当」だった時期もありますが…。

そしていい先生や仲間にも出会え、そして褒められたり、批評されたりした。瞬間の発 想を大事にすることや、手を動かすことも教わった。 そして、チャンスは掴めるときに掴む、と言うことも教わりました。

でも本当は、靴とアートを自分の中で結びつけることが出来るまでは、実は時間 がかかりましたけど。

個展巡業で実家のおばあちゃんに、故郷で個展を見せたかったのもあります。2ヶ 月開催させて頂きました。

Ahoy!  故郷での個展での、九州の方々の反応はいかがでした?

靴郎堂  変態といわれました(笑)でもテレビにも取り上げられましたけど(笑)
とにかく考えて「やる」だけです!!!

 

-今後の活動について-

Ahoy!   六甲ミーツアート *¹⁹について、お聞かせください。

靴郎堂   今回は、靴の山小屋を作ります。本革製です。
中で靴の展示即売もやります。

Ahoy!   えっ、中?

靴郎堂   そうです。まだ秘密なんですが、神戸の若手の靴屋さんの姿を皆さんに見てもら いたいと思って、彼らともタイアップしようとしています 。
展示し終わったらその靴の山小屋の革を使って、売れる靴も作りたいと思ってい ますけど。野外だから革がどうなるかわかりませんが(笑)

もちろん、作品として出展しますが、色々な人が関わって、内容はアートプロジ ェクトに近いかもしれませんね。 材料にもこだわって、兵庫県姫路市製の革を使用して作ります。
次につなげる作品にしたいですね。みんなで、神戸の職人さんと一緒に。

Ahoy!   (制作過程の写真を見せて頂きましたが)とても楽しそうですね。
最後に告知をお願い致します。

靴郎堂   六甲のプレイベントを7月末に行います。「夏休みこどもワークショップ開催!アーティストと一緒に作品をつくろう!」 です。
ガムテープやダンボールを使って本格的な靴作りの手順で登山靴を作ります。そ して、その靴で登山をします。  
是非、遊びに来てくださいね。  

【詳細】https://www.rokkosan.com/art2016/news/cat_event/498/
参加料:500円 
開催場所:六甲山カンツリーハウス  
「帰って来た!山のズックやさん」
アーティスト:靴郎堂本店
日時:7月31日(日)  1回目/10:30~13:00 2回目/14:00~16:30
定員:各回20名 IMG_3857
対象:小学生~高校生  
靴職人になってオリジナルのデザインを考えよう!
 昨年も開催し大好評だったワークショップを今年も開催!
ガムテープやダンボールを使って本格的な靴作りの手順で登山靴を作ります。

Ahoy!   是非、六甲には足を運びたいと思います。本日は有り難うございました。

*¹⁹ https://www.rokkosan.com/art2016/


ある意味、とても楽なインタビューでした。
次から次へと話題が広がっていきます。
雑学、歴史、建築などとにかく博識で、楽しく、話が面白いんです。
ついつい時間を忘れてしまうほどで、気がつけば一時間の約束を大幅にオーバー。
話題の豊富さは、実はネタ帳を克明に付け続けるという勉強熱心さに裏打ちされているのかも知れません。
靴郎堂さんのサッカーシューズで蹴ったら、まっすぐなシュート決まりそう、そう思わせるほど熱い、まっすぐな方でした。

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